なるようにしかならない物語
〜 universo é scritto in lingua matematica ( 宇宙は数学の言葉で書かれている ) 〜

西暦35xx年、新しく開発されたスーパーコンピューターは、21世紀初頭の世界全てのコンピューターを
足し合わせて、更に数千極倍(10の51乗倍)にも及ぶ処理能力と容量を持っていた。

このスーパーコンピューターを使い、ある女性研究者が、ビッグバンから現在までの宇宙の姿をで再現する
実験を開始した。その方法は、データの圧縮・仮想化技術を駆使し、ダークマターはCPUやメモリーの半導体や
コンデンサ部品とし、ダークエネルギーは、CPUを駆動するための電力として定義。その他の素粒子も
必要以外(過去になる度に)は変数として定義、必要な素粒子は1個につき8bitを割り当てるというものだった。

彼女は膨大な数にのぼるパラメータを根気強く調整した。その結果、スーパーコンピューター上の宇宙で、
宇宙の大規模構造はおろか、我々の銀河系・太陽系・地球・人類の発生から発展までを正確に再現させる事に
成功した。
これにより彼女は過去に起こった歴史上の謎とされていた事件の真実を、全て正確に知る事ができた。
コンピュータ上の宇宙は時間を巻き戻す事も進めることも自由自在なため、遠い未来の宇宙の終焉や、その後
までも見る事ができた。

彼女は実験を続け、今現在に時間を合わせてみた。すると全く同じ実験をコンピューター上の彼女も行って
いて、「向こう」のモニタ画面には、自分の後ろ姿とモニタ画面が幾重にも永遠に続いていた。
ふと後ろを振り向いたが、そこには何もなく、どうやら自分が最初の存在であるらしかったが、画面の中の彼女
も全く同じ事を感じているようだった。

冷静さには自信のあった彼女は、次にもう少し時間を進めて、自分自身の死の瞬間がどのように訪れるのか?
を見ることにした。そこには15年後の11月14日の夜、顔も唇も青ざめ、ひどく怯えた様子の彼女が、列車事故で
この世を去る姿が映し出されていた。
さすがにショックを感じたが、冷静さを装い、その事故が起こらないようにパラメータを調整した。
パラメータの調整は難しく、少しでも変えると現在の宇宙とは姿が変わってしまい、人類も存在しなくなる。
彼女は数年をかけ根気強くパラメータを複合的に変える実験を繰り返し、何とかその事故だけが起こらなく
なるようにしたが、時間を戻してみると彼女自身がコンピューター上に見当たらず、存在しない事に
気がついた。
更に数年をかけて微調整を繰り返し、彼女は存在するが、事故は起こらないようにしてみると、彼女の職業は
現在のような研究者ではなく、全く違う人生を歩んでしまい、以前に見た宇宙の終焉も違う結果となっていた。

ある日彼女はいつものように翌日の実験の予定を決め、疲れた身体で帰途につく。帰りの電車の中で隣の乗客が
手にしていた夕刊を何気なく見た彼女は驚き、全身から血の気が引いていくのを覚えた。夕刊に記されている日
付は、あれから15年後の11月14日であったのだ。

彼女の死後、実験を引き継いだ研究者は敬意を持って、彼女を創造主と呼んだ。
彼は彼女より更に冷静だった。
彼は自分の死の瞬間を見るような事はせず、過去も未来も変更をするような事はしなかった。代わりに
コンピューターの中の今現在の、数万光年離れた知的生命体と会話を始めるのであった。

また、政治学者や歴史学者は、このコンピューター上の宇宙の、歴史上の人物の脳死直前の状態の脳を、
別のコンピューターにコピーし、マイクを聴覚野、カメラを視覚野、スピーカーを言語野にあたる部分と接続し、
インタビューを試みた。
コンピューター上に蘇った個体は、現在の状況を理解でき、インタビューが成功する個体と、理解できずに発狂し、
インタビューもままらない物の2つに分れた。発狂する個体については、残念ながら電源を切る事しかできなかった。
現状を理解できた個体は、必ず自分の死の直後の世界を見る事を希望したため、スーパーコンピューターに
接続し、「その後」を見せることができた。しかし、その中でも殆どの個体が「その後」を知って怒り狂い出すため、
電源を切らざるをえなかった。
非常に稀に、最後まで冷静に話ができ、電源を切らずに済む個体がある。そういった個体からは過去や現在・未来
について、貴重な意見を聴き、科学や政治など様々な分野に役立てることができるようになった。


創造主である「彼女」が取り組んだパラメータ変更は組み合わせが無限にあり、少し変更を加える度に、画面上に
様々な宇宙が出来上がる。それはどれも美しいものだった。
西暦4000年代になるとこの技術はありふれた物となり、ボタンを押す度にパラメータがランダムに変わり、綺麗な
星空が描き出されるという、乳幼児用の玩具の万華鏡として発売されるようになった。


24.Jan.2011


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 ― 断っておくが、私は全くの無信教である。

 ずっと以前から仕事で使用しているサーバー群を見つめながら想像を廻らせていた。
季節ごとに高性能化する科学の結晶とも云えるこの機械達は、ずっと遠い未来に何をもたらすのか? という問いは、
自由勝手で気ままな私の心の暇つぶしに「うってつけ」なテーマの一つであった。
考えが進むうちに、やはり哲学の領域に行ってしまうのは避けられなかったが、取り敢えずその時点での結論じみ
たものを殴り書きでメモをしたのが、上記の文章である。
自分で読み返して驚いたのは、まるで宗教のような状態に突入していた事だった。よくよく読むと、アマタの宗教
が唱えている「この世の成り立ち」を説明している源流のようにも見える。自分としては純粋に科学を考えたつもりな
のに、哲学から宗教へと変遷していた事になる。
そもそも科学は哲学から分化した学問で、その哲学は宗教から分離したとすれば、未来の科学は逆に哲学と宗教を包
合する事になるのか? その可能性の一つが上文のようなエピソードなのかもしれない。

 こんなエピソードが将来本当に起こり得るのかは勿論判らないが、数なくとも「人類がこのまま絶滅しなければ」
という無責任な言い方だけはしたくないものだ。
松川純也